Diorが交差させる3つの肖像─ジョナサン・アンダーソンが語る、ウォーホル、バスキア、ラジヴィル

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Diorが交差させる3つの肖像

以前のブログでも触れた通り、今回のファッションウィークで注目を集めているのが、ジョナサン・アンダーソン率いるDior。

アンダーソンは、自身初となるコレクションを前に、2枚のムードボードを公開しました。そこに登場したのは、ジャン=ミシェル・バスキア、そしてリー・ラジヴィルという2人。そして撮影したのが、アンディ・ウォーホル。アート、ポップカルチャー、そしてエレガンス──それぞれ異なる世界を象徴する存在です。

この3人を並べたのは、きっと偶然ではありません。アンダーソンは、Diorという歴史あるブランドに、編集者のような視点で新しい文化の景色を描き出そうとしているのではないでしょうか。


ポラロイドが捉えた”静けさ”──リー・ラジヴィルとウォーホル

アンディ・ウォーホルが1972年に撮影したリー・ラジヴィルのポラロイドには、ほとんど演出らしいものがありません。自然光のなかで、控えめに微笑む彼女。その一枚からは、上品さとともに、どこか日常のぬくもりのようなものが感じられます。

ウォーホルは、ただの肖像画家ではなく、観察者でした。彼が切り取ったリーは、華やかな装いに頼らずとも魅力を放つ女性。そしてそのたたずまいは、Diorが大切にしてきた“抑制された美しさ”とも重なります。


バスキアとウォーホル──異なる個性が響き合うとき

1980年代、ウォーホルとバスキアが共同制作を始めた当初、意外に思った人も多かったはずです。マス・カルチャーとストリート。整然とした構図と、自由な筆致。彼らのアプローチはまるで正反対のように見えました。

けれど今、アンダーソンはこの“違い”のなかにこそ、現代的なリアルを見出しているのかもしれません。価値観が混ざり合い、境界があいまいになる時代において、異なるものが共存するということ。それが、今のDiorに新たな息吹をもたらす鍵になりそうです。


Diorを、もっと広がりのある場所に

JW AndersonやLOEWEでの仕事からも分かるように、アンダーソンは単に服をつくる人ではありません。彼はいつも、“物語”や“視点”を仕掛けてくるデザイナーです。

ウォーホルやバスキアを引用するブランドは、これまでも数多く存在しました。その多くは、アートやカルチャーの熱量をスタイルに転写するものでした。しかし、アンダーソンがそこにリー・ラジヴィルの静けさを織り込んだことで、Diorならではの落ち着きと余白が生まれています。

今回のDiorでも、ウォーホルのまなざし、バスキアの熱、リー・ラジヴィルの静けさを通して、「ファッションとは何か」をあらためて問い直しているように感じます。

静と動、ハイとロー、伝統と革新。その間にある揺らぎや曖昧さ。それを受け止め、編み直していくこと。Diorの新しい姿は、そんな柔らかなバランスの中にあるのかもしれません。


6月27日、パリでのはじまり

Diorは、クラシックを大切にしながらも、時に思いきった挑戦を選びとってきたブランドです。そして今、そのかじ取りをするのがジョナサン・アンダーソン。

アートとファッション、過去とこれから、静けさと衝動。そのすべてが重なり合った先で、私たちはどんな“スタイル”と出会えるのでしょうか。

静と熱、品格と混沌──その狭間で生まれる新しいDiorを、私たちはどんなまなざしで迎えるのか。パリでの幕開けが待たれます。

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